オフィシャルサイトへ

facebook

Takayoshi Shirakawa (Vocal)
Masashi Ojima (Vocal)
Jin Tanaka (Guitar)
Chitoshi Kotobuki(Guitar)
Toshiki Kagohashi (Bass)
Masuo Arimatsu(Drums)

1994年10月バンド結成。1995年1月、渋谷GIG‐ANTIC にて初ライヴを行う。以降、東京都内を活動の拠点としコンスタントなライヴ活動をスタートする。12月、GREEN GIANT、SHERBET、HUSKING BEEなどが楽曲提供を行ったオムニバス『something else』に参加。1996年6月 ターボズゴック(後のECHO)とのスプリット・シングル『MIXTURE FREAKS EP』をリリース。この後も彼らは精力的にスプリットという形態に手を染めることになる。8月にファースト・ミニアルバム『THE NEW SOUTH HAND BLOWS AND NORTH KICK BLOWS』をリリース。ヒップホップのビート感、ラウドでハードコアなギター、ファンキーなリズムセクション、ツイン・ボーカルから繰り出されるダンスホール・レゲエの要素も盛り込んだタイトかつスリリングなライミングといった多彩な要素を融合した音楽性は、いわゆるミクスチャーの象徴的存在となる。以降、SUPER STUPID、H2O(USA)、HUSKING BEEといった名だたるアーティストのライヴに参加。1997年4月ECHOとのスプリット・シングル『SOUL CAMP vol.2』、10月にはORANGE9mm(USA)、CYCLE とのスプリット・シングル『ORANGE9mm/CYCLE/BACK DROP BOMB』を限定発売。このように、初期活動からスプリットといった形態で、異なる音楽性・テイストを持つバンドとの共演を積極的に行うことが、彼らの複雑かつ深みのあるサウンドの基盤となっていることは間違いないだろう。  1998年は彼らにとって最初の大きな転機となった。WARPED TOUR ’98およびH2O(USA)のジャパン・ツアーをサポート。そして7月には盟友HUSKING BEEとともにマネージメント事務所iniを設立。インディペンデントな活動そのものが、リスナーそしてシーンから注目を集めることとなる。8月には東京ベイサイドスクエアで開催された伝説的野外イベント「AIR JAM ’98」に出演を果たし、ここでのパフォーマンスは長く語り継がれるほどのインパクトを与えた。  日本国内のみららず、1998年9月、ニュージャージーにて行われたイベント「ALIVE AND WELL」に日本唯一のバンドとして参加したほか、1999年3月にはテキサスで開催されている世界的なインディーズ・ミュージックの見本市「SXSW ’99」に参加するなど、かねてから世界的な視野を持つ活動を行っていった。  1999年1月、TOY’S FACTORYよりマキシ・シングル『ROUGH INTRODUCTION FOR THE NEXT』を発表。同年8月「FUJI ROCK FESTIVAL’98」に出演の後、12月には彼らの初期代表作といっても過言ではないアルバム『MICROMAXIMUM』をリリース。メジャー・リリースという舞台は変わるなか、その存在感はますます強いものとなる。この頃から分厚いバンドのアンサンブルをベースにしながらも、DJ HASEBE、DJ WATARAIといったヒップホップのトラックメーカーとのコラボレーションなどを通じて、クラブ・ミュージック愛好家にもその名を知らしめる。2000年8月には、千葉マリンスタジアムに35,000人の観客を動員した「AIR JAM 2000」に出演を果たす。  2001年、LAレコーディングが行われたシングル『2254 UNIVERSAL EP』リリースと、活発なリリースを続けながら、HUSKING BEE、CAPTAIN HEDGE HOG との3ヘッドライナー・ツアーや自身のイベント開催、FUJI ROCK FESTIVAL、ROCK IN JAPAN FESTIVAL、COUNTDOWN JAPANなど国内の主要大型フェスティバルの常連となるなど、豊富なライヴ活動で、ライヴバンドとしての存在感を見せつける。  2002年5月、リミックス・アルバム『REFIXX』を発表。サーストン・ムーア, KRUSTといった海外勢から、toe、TSUTCHIE、cubismo grafico、MIGHTY CROWNといったかねてから親交のある面々まで、オルタネイティブかつ豪華なラインナップがリミキサーとして参加したこの作品により、その折衷感覚、優れたクリエイターとコラボレイトする審美眼、ディープな音楽リスナーとしての側面をあらためて提示した。  2003年もFOO FIGHTERSらが出演した幕張メッセにて行われたフェスティバル「Magic Rock Out」や、N.E.R.D のツアーに参加のあと、7月に3年半の期間を置いてのセカンド・アルバム『NIPSONG』を発売。今作は、長くタッグを組むデザイン・チーム7starsのアートワークも含め、その近未来的世界観を存分に堪能できる作品となった。  2004年5月、あらたなミニアルバム『diversive audio EP』を発売。クラブチッタ川崎にて開催されたリリースパーティーには、SHUREN THE FIRE、BOOM BOOM SATELITES、DJとして松田岳二、仲真史が出演し、今作のヘヴィネスとともに、彼らの多彩な交友録を感じさせるラインナップとなった。彼らのジャンルを縦断するコラボレーションは、アーティスト間で新たな化学反応とUNITY感を生み出している。2005年9月には、FIRE BALLとのコラボレート・シングル『FBDB ANTHEM』を発売。活動当初からレゲエの要素をたぶんに持っていた彼らの真骨頂ともいえる共演はおおきな反響を呼んだ。  2006年、シングル『graySOUNDzone』に続き、7月には通算3作目となるフルアルバム『breakdawn』発売。 ドラムン・ベース、エレクトロニカ、ダブ、テクノ……世界と同時同時進行のクラブ・ミュージックの動向にいちはやく敏感でありながら、よりバンドとしてのカオティックさを極めた内容に、ロックファン、そしてダンス・ミュージックファンの双方から大きな反響を呼ぶ。 またこの頃よりバンドの活動と平行して、TANAKAによるSITUATION CHANGES、SHIRAKAWAによるソロ・プロジェクトWOWWなど、個人活動もより活発になり、リミックス・ワークなど見逃せない作品を数々手がける。 2007年、人気ブランドMACKADADDYによるオムニバス『LE TOUR DE DANCE SOUND TRAXXX』に参加。この作品は言わずもがな、彼らの音楽にストリート・ファッション関係者のフリークが多いことは、彼らの好感度なアンテナがクリエイターを刺激することを物語っているだろう。  そして2008年2月、BATTLESそしてCLAP YOUR HANDS SAY YEAHを手がけるエンジニア、KEITH SOUZAのスタジオのもとで制作された、1年7ヵ月ぶり、通算4作目となるニューアルバム『VENOMETEORIC』をドロップした。  2009年3月には初のベストアルバム「THE BDBEST」を発表。STUDIO COASTにて伝説のイベント「Bad Food Stuff」を復活させチケットは即日ソールドアウト、サポートを追加した12人という大所帯での編成で最高のパフォーマンスを披露し、その圧倒的な存在感を見せつけた。そして5月には新メンバーとしてドラムの武田将伯が加入。ROCK IN JAPAN 09、COUNTDOWN JAPAN 09/10等フェスに出演し、その健在ぶりをアピールした。また、白川はTHE MAD CAPSULE MARKETSのTAKESHI UEDAによるバンド "AA=" にVo.として参加。2枚のアルバムのリリースに関わり、全国ツアーにも参加。  そして、2010年12月にはニューギタリストとして寿千寿(コトブキ チトシ)が加入。   2011年4月には、現在までの彼らの楽曲を再構築し、1本に繋ぎ合わせ再録をし、約20分のメガ・ミックス的楽曲「Coming re:action」をデジタルオンリーで発表。震災後急ピッチでレコーディングをし、売り上げを全て "セーブザチルドレン" に寄付する。   2012年2月には5作目のフルアルバム「THE ORCRACY」を発表。ミクスチャーの新時代を告げるかのような、ジャンルが3次元に入り乱れる作品を提示する。その後12年ぶりに復活した "BAD FOOD TOUR" でBRAHMAN, HUSKING BEE, SCAFULL KING, LOW IQ 6 THE RHYTHM MAKERS, FRONTIER BACKYARD, COMEBACK MY DAUGHTERS, ASPARAGUSといった盟友たちと全国をツアーする。   その後、2012年10月にはドラマー武田将伯が脱退し、オリジナルメンバー有松益男がドラマーとして復帰した。