ディアフーフは1994年3月、サンフランシスコでグレッグ・ソーニア(ドラムス&ヴォーカル)とロブ・フィスク(ベース&ヴォーカル)によって結成された。 キル・ロック・スターズの設立者、スリム・ムーンは、1995年にオリンピアで行われたYOYO-A-GOGOフェスティヴァルで彼らのライヴを見て、ファースト・シングルとなる『Return of the Wood M'lady』をリリースすることに決めた。
1996年4月、日本からアメリカに着いて1週間も経たない頃に、サトミ・マツザキがこのシングルを耳にした。
それまで楽器の演奏経験のなかった彼女は、その2週間後にはヴォーカリストとしてバンドに加入し、ツアーに出ていた。
1997年にロブがサンフランシスコを去ると、後に残されたサトミとグレッグはディアフーフの最初のCD『The Man, the King, the Girl』を完成させ、これは同年、キル・ロック・スターズ(KRS)と、ムーンの新レーベルである 5 Rue Christine(5RC)によって共同リリースされた。
1998年にはサトミはベースを弾きはじめており、ロブが戻ってギタリストとして再加入し、同時にケリー・グッド(キーボード)も加わった。
再びKRS/5RC からのリリースとなる1999年の『Holdypaws』を録音後、ロブとケリーが脱退し、ちょうどその頃ミネアポリスからベイエリアに移って来た(元 Colossamite の)ジョン・ディートリックがギターで加わった。
2000年にこの新しい編成でコンサートをレコーディングした後、ディアフーフは、オーストラリアのレーベル Dual Plover から、過去のその他のライヴ音源も含む『Koalamagic』をリリースした。
当時から4年遡ってロブとグレッグの間で構想がはじまっていた音楽を収めたアルバム『Halfbird』は2001年に完成され、同年 Menlo Park からリリースされた。
2000年から2001年の間に、サトミとジョンとグレッグは、新編成での最初のスタジオ・アルバムとなる『Reveille』のレコーディングも行い、これは2002年にKRS/5RC からリリースされた。 2001年の12月には、親しくなった別の地元バンド、The Curtainsのギタリストであるクリス・コーエンがディアフーフに加入した。
2002年の終わりに彼らは『アップル・オー』を録音し、2003年3月にKRS/5RC から発表した(日本盤は同年5月にPヴァインから)。
それからきっかり1年後となる翌2004年3月に早くも『ミルク・マン』をリリース。
SPIN誌で「完璧なアルバム」と評されるなど、各方面で絶賛を浴びた。
2005年3月には初の日本語歌詞によるEP『緑のコズモ(Green Cosmos)』、さらに同年10月には新作フル・アルバム『ザ・ランナーズ・フォー』を相次いでリリースし、その旺盛な制作意欲と尽きることのない音楽的アイデアの豊富さを見せつけた。
2006年5月、The Curtains での活動に専念するため、クリス・コーエンが脱退。
2006年12月(欧米では2007年1月)、新作『フレンド・オポチュニティ』を発表。
2007年7月には初のフジ・ロック・フェスティヴァル出演。
2008年2月、新ギタリストのエド・ロドリゲスが加入し、再び4人編成となる。